明日もパソコンと過ごす

大体適当なことを書いてるブログ

交際関係の事実をとっぱらった関係

みなさんは恋愛と聞いたらなにを思い浮かべますか?彼氏、彼女と愛を深め合う関係?お互いのことを知っていく過程?デートすること?はたまた肉体関係?

 

私も数時間前まではこう考えていました。でも、それだと私の中ではなにか引っかかる物があったのです。モヤモヤしながらも異性経験を重ね、交際数はそこそこあるものの、すぐに破綻しがちでした。どんなに相手のことが好きで、愛していても、最後は私自身が壊れていく恋愛を繰り返していたのです。

 

ネットで調べても後ろめたい内容ばかり。でも、私の心情と一致するようなものが見つからない。気がつけば自責するようになっていました。だけど、それって悪いことなのでしょうか。いいえ、違います。なぜなら、それは「社会的な常識に組みこまれた恋愛」にしか過ぎないからです。すなわち、固定観念ともいえます。

 

で、それってどういうことなの?と疑問に思う方もいるでしょう。ベースはカップルがやるような行為と同じです。でも、付き合っている事実は存在しないし、互いに彼氏彼女と呼ぶこともないでしょう。かといって、不貞は許容しない。そばにいて安心する存在がその人しかいない。単刀直入にいえば、安定したパートナーでしょうね。心の底から通じ合っているパートナーです。

 

え?それってカップルじゃないの?いいえ、違います。

 

私はきっと、異性(同性)と付き合っている事実、それにともなった感覚に著しい抵抗感を示すのだと思います。窮屈な感じに襲われてしまうわけですね。

 

一般的にみたら私の感覚は狂っているのでしょうし、受け入れることは難しいでしょう。けど、その関係が心の底から安心するんです。自分を縛るものがなくて、繋がり合っている人といれる温もりをしっかりと感じることができますから。

 

クリーンでフラットな気持ちでいれて、縛るものがない。私は心からの強い結びつきを求めていて、縛るものがない関係にあこがれていたのかもしれません。そしてまた、社会的な常識といった固定観念に苦しめられていたのではないでしょうか。変ですよね。常識に縛られて殺されるって。

でも、これが恋愛感情なのかはちょっと複雑なところではあります。そこについては気づき次第、文章にまとめる予定です。

 

 

固定観念を取っ払ってみると、自分の見えている世界が広くみえますね。

それではまた。ひねくれ者も矯正したいと思います。