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Leica「だから」良いのではない - Leicaユーザーに向けるアンチテーゼ

過激なタイトルでありながらも、アクセスいただいた方に感謝する。記事タイトルの通りで、Leicaだから良いのではない、と考えている。

 

今に始まったことではないが、問答無用でLeicaを崇拝し「Leicaアイデンティティ」になっている人々を定期的に観測する。もちろん、Leicaという点に価値を見出しているならば、それで結構だし、その感性や価値観を否定する旨ではない。何を隠そう、私もLeicaユーザーだ。

 

Leicaハイブランド的な側面もあり、やはり高嶺の花として捉えられてしまうこともない。使いもせずに、高いだけだと一蹴する者もいる。しかし、自身の所有欲を満たす目的で購入する者や、クラシックカメラ・コレクションとして購入する者もいる。先述したように、これらや類似の理由で購入する者を否定するつもりはない。

 

ただ、Leicaと一括りにするのは、自分のアイデンティティLeicaに引っ張られ過ぎなのではないか?と思う。Leicaで撮るから「写真が良くなる」のだろうか?それは、SonyのαシリーズやSIGMA fpなどのカメラでは本当に撮れないのだろうか?

 

たとえば、LeicaといってもM型のフィルムライカ、デジタルライカ、レンズ群だとElmarit,Summicron,Summiluxなど、複数の種類がある。その中から、M9とNoctilux 50/1.0 E60の組み合わせが「ベストだから」「好きだから」使っているのであれば、自分の写真における好みを探求しているように受け取れる。つまり、M9が好き、Noctilux 50/1.0 E60が好き、という理由で使うのは「Leicaだから」の範疇に収まらないだろう。

 

しかし「Leicaだから」が自分自身のアイデンティティと化してしまうのは、本当に「Leicaが好きで使っている」のだろうか?Leicaの何が良くて、国産レンズとの違いを説明できるのだろうか?Leicaの描写をどれほど理解しているのだろうか?全てを言語化する必要はない。ただ、Leicaだからというプラセボ効果に影響されていないだろうか?

 

なお、本エントリーで論じているのは、写真機としてのフィーリングではなく、あくまでも「保存された写真」すなわち「画像データ」についてであり、そこについては触れないものとする。もちろん、レンジファインダーだから撮影しやすい、軽量コンパクトだから使う気が起きる、などのM型Leicaの特性が個人のコンディションや撮影状態に影響するのもM10,M9-P,M8を使用してきた身からすると、私自身にもそういった感覚はあるため、理解はできる。

 

むしろ、それをしっかり理解してLeicaを選んでいる方であれば、自分にとって必要な条件を分解し、吟味していた結果がLeicaだと推察する。国産カメラにも同様のことが言える。国産カメラユーザーは「Leicaなんて」と一蹴する者もいる。それは本当にLeicaを理解しているのだろうか?レンズの特性における写りの違いを説明できるのだろうか?Leicaに限った話ではなく、〇〇だからと断定的な表現で視野を狭めてしまうのは、私自身への戒めも込めて、もったいなく感じる。更に言えば、メーカーごとの信者はメーカーに風評被害を与えかねない。今に始まった話ではないが、そのような観点からも慎むべきではないだろうか。

 

Leica「だから」いいのではなく、Leicaの「特定製品」だからいいのではないか。他のメーカーにも同じことが言える。