明日もパソコンと過ごす

大体適当なことを書いてるブログ

Leicaとの出会い

俺はLeicaのRF機に価値を見出していなかった。不便だし、何も考えずにマニュアルでも「繊細」に撮れるSIGMAのカメラを愛用していた。けれども、Leica M8との邂逅が撮影体験を一変させる。スマホカメラ出身の自分からすれば敢えて不便な機材を使うのは合理性の欠片もない選択だった。

 

Leica監修なHuawei Pシリーズがスマホカメラの一強だった時代。Leicaの偉大さは把握していた。ところが、カメラ性能の高いスマホが他社からも発売されるようになると、それは神話だったと思い知らされる。自分の中で、Leicaというメーカーは先駆者でしかない。そんな認識になった。

 

M型ライカにも同じことが言える。ライカストア銀座でM10-Rを触れた時も「無駄に高いブランドカメラ」の所感で、Leicaへの興味が薄れ、SIGMAとFoveonを崇拝する1年。ところが、祖父の四十九日。お姉さんとデートした日に偶然Leica M8と邂逅する。忘れもしない、CCDセンサーにキズのあるジャンク品だ。どういうわけか自分はM8を勢いで購入した。しかも現金一括で。なんでだろうか。理由は複合的だろうけど、憶えてはいない。

 

でも、まさか写真を撮る愉悦を改めて知るとは想像もしなかった。それだけの魅力があり、感動したのを今も憶えている。自分とLeicaの偶然はそこから始まった。気がつけば、Leicaは自分に必要不可欠なカメラになり、来る日も来る日も気が狂ったようにレンジファインダー越しの世界を信仰し、写真を撮るようになった。

 

しかし、2006年発売のLeica M8ではスペック不足な部分もあり、意を決してLeica M10に移行した。大学生の私にとって、少し無理をした買い物だったと反省はしているものの、もうどうにでもなれ!と勢いで買うことも大切だと思う。それはそうと、外出時にはLeica M10を常備している。いつの間にか、だ。偶然は必然だったのかもしれない。

 

自分はLeicaのどこに惹かれたのか。どうして使い続けるのか。それはわからない。けど、自分が使うカメラはいつの間にかLeicaばかりになっていた。国産カメラのほうが「よく写る」と感じる。何も考えずに撮るなら、それ一択だ。自分にとって、最善の選択はそっちかもしれないと思うところはある。それでも、自分がM型ライカで撮影した写真をみると、やっぱり違うなと感じることがある。

 

きっと、自分がM型と出会ったのは、路頭の迷いから救い出してくれたのだろう。あの日を皮切りに、ライカオーナーになった。その日は特別だし、忘れられない。

 

余談として、ichiro氏が「ライカオーナーになるということ」の中で「それは、きっと特別な日になるだろう。」と書かれていた。今だからこそ、強く共感できる。