明日もパソコンと過ごす

大体適当なことを書いてるブログ

Leica M8との邂逅は私にとってライカ元年の幕開けだ!

 

私はH14年生まれの弱冠で、初のCCDレンジファインダーカメラとなる「R-D1」と同い年だ。そんな私が幼いころに主流だったCCD機をつい最近知り、触れたわけだが、その優しい描画に鳥肌がたったのを鮮明に覚えている。そのカメラこそが「Leica M8」だ。

 

Leica M8は2006年に発売されたマニュアル専用デジタルカメラで中古相場が25万円ほど。現行機種のLeica M11は新品価格で100万円を超える。正直、Leica M11の展示機に触れた時は「100万円の価値」を感じなかった。換言すると、無知な私にとっては「ブランド品にしか感じなかった」わけだ。

 

Leica M11はSonyのα7R Vと比較してもコスパはもちろんスペック面でも劣る。趣味の世界にマシンスペック、価格が関係ないのは散々凝っていたオーディオで経験済みである。けれども、やはりライカはブランド品というイメージを払拭できなかった。

 

ある日を境にその認識が覆ることになった。その日はオールドレンズを漁るためにフラフラとしていたところ、Leica M8が偶然17万円で販売されていた。センサーにキズがある物だったが逡巡の末にM型ライカの試用も兼ねて購入した。この偶然が私の琴線に触れ、必然だと確信を得るのはまだ知る由もない。

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購入したのはシルバークロームで、クラシカルなデザインが良い。

 

M8を購入したのはいいのだが、どう使えばいいのかわからなかった。M型ライカにはプログラムオートがない。かろうじてあるのは、SS/ISO/WBのオートで絞り値やピントフォーカスは手動で合わせる必要がある。諸説あるが、撮影者の意図に忠実であるように、あるいは写真撮影の過程を噛みしめる愉しさを味わうため、はたまたライカの伝統的なシステムを遵守するためだとか、様々な理由があるらしい。いわば、実質的にはマニュアル機のようなものだ。

 

私は使い方がよくわからないカメラと散歩にいった。マニュアル機だから、オートに頼った撮影は一切できない。繰り返しになるが、AWB、ISOオートはギリギリ実装されていて、AFはない。この時はマウントアダプタを介してCanon FD 50mm f1.4を使用していたため、目測でピントを合わせる必要があった。地味につらい。

 

被写体を見つけては目測距離を考え、WB、そしてF値とSSを毎回設定した。幸いなのかはわからないが、私はFoveon機*1(SIGMA DP2 Merrill)を愛用していたため、すぐに順応できた。振り返ると「ただ写真を撮るだけ」に集中していたと思う。残暑の中ではあったが、これがとにかく楽しかった。もう「写真を真剣に撮る」以外のことなど考えていなかったからだ。

 

*1FoveonはSIGMAから発売されていたカメラに使用されているセンサーの名称で、それが搭載されたカメラはマニュアル撮影が基本。

 

帰宅して写真を確認すると、淡い発色や線の柔らかさ、なによりも「やさしい画」に感動したのを鮮明に覚えている。私はM8の虜になってしまったのだ。

 

そこから「正常品のM8が欲しい」と強く思い、情報収集を開始した。その過程において、孤高の名機と神話を語られる「Leica M9」やCMOSセンサーへの転換期に発売された「Leica M(Type240)」を知り、順当に「Leica M11」の魅力も理解した。それと同時に、オスカー・バルナックの名を冠した「バルナックライカ」の歴史も知り、沈胴レンズの魅力にも引き込まれた。

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それらを総合的に踏まえた上で、私はやっぱりM8の「飾らなさ」と「ポジのような柔らかさ」が好きなことに気がつき、ブラッククロームボディの完動品を購入した。

 

今までは解像度番長の異名を持つSIGMA fp LとDP2 Merrillを偏愛していたのだが、M8のような「故郷に思いを馳せる写り」もそれはそれで良いと感じるようになったし、忠実で気品のある「Leica M(Type240)」の画にもただならぬ魅力を感じてしまう。ライカは妖艶で、いつの間にか魅了されるのではないかな…と感じるほどだ(笑)

 

まさに私のライカ元年である。